「慰安婦」問題

森・富山市長の96条改憲「個人的には大歓迎」発言と、「従軍慰安婦の存在は確認されていない」発言(09年9月富山市議会)は歴史観でつながっている?(ー_ー?)ン!

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  森・富山市長の議会発言「96条はあまりにもハードルが高いので、下げようという動き、個人的には大歓迎」で、森市長の従軍慰安婦発言(09年9月・富山市議会)を思い出しました。歴史観の問題としてつながっているのではないでしょうか・・・
2009年9月 富山市議会定例会  開催日:2009.09.15
 質問・中山雅之
 
 最後に、日本軍慰安婦問題の解決について質問します。 8月に市民団体の皆さんによる実行委員会が、「戦争と女性の人権問題を考える集い」を開催されました。在日韓国人で日本軍慰安婦を強制された女性が、国に謝罪を求めた裁判の記録映画「オレの心は負けていない」の上映などです。市はこの催しの後援を決めましたが、直前になって取り消しました。新聞の取材に森市長は「慰安婦は存在しないというのが私のスタンスであり、催しは対極にある」と述べたと報じています。 慰安婦問題とは何でしょうか。日本が侵略戦争のさなか、植民地にしていた台湾、朝鮮、侵略していた中国などで、各地に日本軍兵士のための慰安所を制度としてつくり、その数はわかっているだけで四百数十カ所です。そこにたくさんのアジアの少女たちを強制的あるいはだまして集め、兵士の性暴力にさらしたという重大な非人道的行為です。 河野官房長官談話、村山首相談話などで、強制連行の事実を認め謝罪はしましたが、政府は誠実な対応を怠っています。2007年、安倍首相が「強制連行の証拠はなかった」と事実を否定するなど逆流の動きもあります。 日本政府の態度は全く許されません。国際的にも大きな批判を浴びています。アメリカ下院議会、オランダ、カナダ、EU議会、フィリピン、韓国、台湾など各国議会や国連・自由権規約委員会、ILOなどは、日本政府による被害女性への公的な謝罪や国による賠償、教育で後世に伝えるなどを強く求めています。 「わたしは日本軍慰安婦だった」と名乗りを上げたイ・ヨンスさんは、著書の中で訴えています。「慰安婦という言葉は汚い言葉です。私には父母がくれたイ・ヨンスという名前があります。しかし、そういう汚いことをさせられてしまったことを、歴史の証人として自分の口から話してきまし た。日本政府は、いつまで私たちに証言をさせるつもりなのですか。私は既に80歳、私が生きている間にこの問題を解決してほしいのです」。 国際社会は、日本軍慰安婦問題を女性の人権を踏みにじる重大問題として、日本政府を批判しています。国連女性差別撤廃条約が採択されて30年、日本では、今なお異常な女性差別が続いています。雇用では、女性雇用労働者の半数以上が非正規雇用であり、賃金は正社員で男性の68%、非正規を含めると53%です。妊娠・出産、育児休業取得を理由とする解雇など違法な差別も横行しています。 ヨーロッパでは、母性の社会的役割を重視し、子育ては男女と社会全体の共同責任であるという女性差別撤廃条約の原則に立ったルールが確立されています。
  そこで伺います。日本軍慰安婦問題に対して政府の誠実な対応を求め、市として、政府へ積極的に働きかけるときではありませんか。慰安婦被害の事実を確認し、被害者に対して閣議決定で謝罪を行うこと、問題解決のための法律をつくり、被害者の名誉回復と損害賠償を行うなどです。このことは、人権を守り、国民が主人公の新しい日本を目指すことを願って、総選挙で歴史的な審判を下した国民・市民の願いにこたえることでもあります
 日本共産党は、日本軍慰安婦問題の解決を求め、女性への差別をなくし、国際的な基準に立ったヨーロッパ並みのルールある経済社会をつくるため、広く、女性、市民の皆さんと力を合わせて、全力で奮闘します。 以上で質問を終わります。
 答弁・森市長 
 中山議員の御質問にお答えいたします。 …略… 次に、最後に質問のありました、いわゆる慰安婦問題の解決についてと題した御質問にお答えします。 まず、議員が質問中お触れになりました新聞記事は、恐らく朝日新聞だと思いますが、その記事の表現は全く正しくありません。
 私が記者に申し上げたのは、従軍慰安婦というものの存在は確認されていないということであります。
 慰安婦という主語で話しているわけではありませんので、あの新聞社はそういう体質を持っていると思っています。 そもそも、私が問題にしているのは従軍慰安婦という言葉なのです。従軍慰安婦という言葉は、もともと存在しなかった言葉です。この言葉は、1993年に朝日新聞の植村という記者が初めて使っており、彼の書いた記事が発端となっていると認識しています。 したがいまして、私自身は、もとより慰安婦や慰安所の存在を否定するものではありません。戦前には公娼もありました。昭和33年の3月31日までは組織的売春は罰せられていなかったのであります。そういう時代の中で、国内のみならず戦地においても多くの娼館や慰安所があったことは事実であると思っています。 したがって、そういう女性たちの中にはだまされたり、売られたり、拉致されたりという重大な人権侵害にさらされた不幸な人がいたであろうことは容易に想像がつきます。 こういう場で申し上げていいかどうかわかりませんが、現にそういう行為に手を染めたという人に会ったこともあります。被害者の人たちに対しては、心からのお見舞いと同情を禁じえないと思っていますし、人間の悪業に心が痛むものであります。
 問題は、慰安所の現場において、特に外地において、軍の関与や官権による強制があったのかどうかということだと思っています。 
 河野談話の後で、政府は詳細に調査をしていることは御存じだと思います。その結果として、河野氏のもとで官房副長官を務めた石原 信雄氏は、「従軍慰安婦の証拠となるものは何もなかった」と答えており、また、直接調査をした平林 博内閣外政審議室長も国会の答弁で「従軍慰安婦の存在を証明する資料は一切見つけることができなかった」と述べています。このときの調査は、日本の各行政機関、国立国会図書館、国立公文書館そして米国公文書館などであり、官権による強制を示す資料はなかったとされており、現在に至るまで発見されていないと認識しています。 
 軍の関与があったのか、なかったのか、議論の中心はここにあると思っています。政府の調査において、軍の関与を示す資料が出てこない以上、民間を含めて新たな資料が発見されない以上は、客観的事実に基づく限り、安倍元首相が国会で述べたように、「官権による強制性はなかった。業者による事実上の強制は否定できないので、広義の強制性はあったかもしれないが、狭義の強制性はなかった」という考え方が正しいのではないかと考えています

 しかしながら、一方では、関与があったと考える人もたくさんいます。共産党はそういうお考えですし、民主党にもそういう考えの方がたくさんいらして、毎年議員提案で補償に関する法律の提案がされ、否決されているという流れです。ここは政権がかわったことによって、どう変わっていくかは注視しなければいけないと思います。 
 いずれにしましても、ここが争点であり、かつ現在も幾つもの訴訟が係争中です。そういう中で、まさに対応によっては外交上の影響も考え得るデリケートなことについて、対立する立場のいずれかにくみする対応を、市として政府に働きかけることは妥当ではないと考えるものであります。
 なお、さきの何とかという団体の行事は、従軍慰安婦というものが存在したという立場に立ったもののようであるので、市として対立する意見の一方にくみすることはできないという考えで後援を取り消したものであります。
 後援に関する事務取扱要領の第5条では、その取消しについて規定されていますので、手続上の瑕疵はないものと認識しています。以上でございます。

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